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オズビジョン「歴史が動くとき」 ーその1 クレドの導入ー
「働くこととは何か?」という問いかけ
企業文化の価値観の根幹部分を企業理念とクレドとして言語化したオズビジョン。そのことで組織が揺れたこともあったが、それを貫いてきたから今があると、古くから関わってきた社員たちは一様に口を揃えていう。
オズビジョンは2006年5月29日に設立したがその時から現在の理念、クレドがあったわけではない。
現在の理念と最初のクレドができたのは2010年のこと。
2010年の上期総会の際に理念とクレドを導入するという意思決定が全社員に伝えられたのだ。
その当時の背景としては、「他者に負けないサービス」ではなく「勝つサービス」で、ポイントサイト業界でその他企業から主要企業へ、という事業方針のもと事業を展開していた。当時のオズビジョンはまだ、世の中に林立するポイントサイトのなかのワンオブゼムでしかなく、老舗ではあったが中小規模のポイントサイトに過ぎず、勢いもそれほどなかった。
数字の上では、現在の会員総270万人のところ2009年の「ドル箱」では35万人、年間総売上高は現在の約1/10という事業規模だった。
ポイントのあり方も現在のお買い物をしてポイントを貯めるというものが主ではなく、名称も「ドル箱」というもので、遊びながら稼げるサイト、当時流行していたゲームをしたりアバターを購入したりすることに対して、ポイントを付与し貯めてもらうというビジネスモデルだった。人々の幸せをビジョンに掲げる現在の「ハピタス」とは、ポイントとの向き合い方が大きく異なっていたことが分かる。
ポイントサイトのノウハウを売ってEC商売のコンサルをやるということも構想されていたという。
当時のオズビジョンはイーカレンシーからオズビジョンに社名変更(2007年8月)をして2年目。事業規模拡大にともない、本社を東京都千代田区岩本町から千代田区神保町に移動したばかり。業績も4半期決済で増収増益を続けていた。
風間氏いわく、いまでこそオズビジョンはホワイト企業だが岩本町時代には机の間に寝袋を置いて泊まり込みで仕事をするような時代。ただ業績は倍々ゲームで伸びていて、社員は成長という目標の元に希望と活気に満ちあふれていた。
そんな時代背景の中、2010年度上期総会の頃から組織としてどうあるべきかを代表である鈴木氏が伝え始めた。
事業戦略においても、幅広いユーザーに受け入れられるようなポイントの得やすさ、費用対効果アップに加え、現在のファン化に通じるような情緒的価値が芽生えはじめてくるようになる。
スローガンも「負けない」から「勝つ」へ、そしてこの時の総会の事業戦略、通期方針のあとに、あらためて企業理念について社員に向けて語られた。
それまでも企業理念がなかったわけではないが、それはいわゆるIT企業らしい経営的な視点での理念を示すものであり、そこにオズビジョンらしい独自性はほぼなかった。ただ今回は違う。まず鈴木氏が全社員を前に問いかけたのは「働くということはどういうことか」という、あたかも人が生きるとは何かと問うような極めて本質的な問いだった。その問いかけが、オズビジョンの価値観が大きく変わっていく、変化の始まりだった。
変化することで痛みを伴った改革
それまで、代表である鈴木氏よりも年齢もキャリアも上のベテランたちが、会社に寝袋を持ち込み、毎日長時間懸命に働いていたが、満足な給料を支払うことはできなかった。だが、なぜ、みなはここまで懸命に働いているのか。人生の有限の時間をつかって、人は働き、生き、自己実現を目指す。では、あらゆる人にとって最も価値のあることとはなにかと、鈴木氏は考えた。
「人はみな幸せになるために生きている」。
そのきっかになったのが鈴木氏が社員に送った「あなたはなんのために働いていますか?」という問いかけのメールだった。そこで最終的に得た答えが、人は誰もが幸せになりたいという思い。経営者としての鈴木氏の心にも大きな変化が生まれたタイミングだった。
人が幸せになることに自分が貢献することで、自分も幸せになれる。それを自己実現ということができるのではないか。そして企業としてそれを理念に活動し、人の幸せに貢献することを企業理念とすることが一番よい選択肢になると鈴木氏は考えた。
そこで全社員を前に宣言された企業理念が「人の幸せに貢献し、自己実現をする集団となる。」(のちに「人の幸せに貢献し、自己実現をする集団で在る。」に変更。)だった。
それと同時にその理念に基づいてそのミッションを実現するために、オズビジョンの一員としてどのような行動規範のもとに行動していくべきかを考えた。
そこでつくられたのが8つのクレド(行動規範)だった。
ひとつひとつのクレドは、当時鈴木氏が愛読していたビジネス書のなかに書かれていた言葉などをもとに、企業理念やオズビジョンが実現すべきミッションに従ってつくられたという。
ただ当時、理念もクレドも、その生成プロセスはリーダー以外に共有されておらず、青天の霹靂のように総会で発表されたものだから、社員も戸惑った。というのも当時のオズビジョンといえば、鈴木氏もそうだが、ガンガン儲けて、若いうちに引退しょう!というような雰囲気が満ち、それが働くことのモチベーションにもなっていたからだ。
それがいきなり「働くとは?」「生きるとは?」という本質的なことを問い始めた。この理念とクレドの導入が、その後のオズビジョンの大きなターニングポイントとなっていった。
そして理念とクレドが制定された2010年5月の上期の総会の半年後、10月に開催された第5期上期締め会で、クレドの体現基準が人事考課に反映されたから社内は揺れた。
それもそのはず、それまでは成果や業績で昇給、公休、ボーナスが決まっていたが、2010年10月以降から、このクレドをどれだけ体現しているかといことを評価の半分のウェイトをもって導入することが決まったのだから。
その先の未来の組織体へ
これが創業時から苦楽を共にした者を含め、一部の社員の大きな反発をくらうことになる。
売上は絶好調、売上高、粗利益、営業利益、いずれもが5半期連続で過去最高を更新していた時代だ。
それまではポイントサイトのなかで存在価値を増していこうというスタンスだったが、第五期上期締め会のときにはもはや競合はポイントサイトにあらず、今後は全企業は競合であると位置づけられた。
このとき、経営方針の大幅な見直しはなかったが、大きく変化したのが組織力の強化。
アメリカの経営学者チェスター・バーナードの組織論をもとに、より理念(ミッション・クレド)で結束するという意志を明確に、本格的に評価制度にも反映させるということを宣言した。
それまでもチームワークのしっかりした和気あいあいとしたフレンドリーな組織ではあったが、それを明文化して、自分たちのミッションと行動規範として束ねた。
各部署にリーダーが布置され、本格的な組織組成が行われたのもこの時からだった。
結果としてクレドの導入が、当時30数名いた社員のうち初期メンバーも含む11名がその方針に馴染めず退社という、組織としては痛みをともなう結果を引き起こす一端となった。
だが、大切な仲間のなかからそれほどの多くの退職者を出しながらも理念やクレドを廃止することは考えずに、それを貫き続け、今がある。そのことが2018年にティール組織として評価された大きな要因にもなったといえる。
そして、2019年の制定を目指し、新クレド制定プロジェクトが2018年7月に発足。前回、トップダウンで決めたことで多くの離反者を出すという痛みを経験したことを学びとし、クレド委員会メンバーを社員から募集。約半年間の数多の議論を経て新クレドを制定した。一方これまた自主的に参加を表明した社員とこのたびリブランディングを担当したエイトブランディングデザインとの共同で、「Be a big fan」というブランドコンセプトも策定。新クレドである「Best Work 」「Best Team 」「Best Self」との接続を果たしていったのである。
人々の幸せに貢献する組織をつくる過程で導入されたクレド。それがオズビジョンの大きな転換点のひとつとなった。
生きるように働くことを体現し、チーム力を発揮して、仕事を通じた自己実現を標榜するオズビジョンが、この先どんな企業像を私たちに見せてくれるのか注目したい。
WRITING
フリーランスライター / エディター加藤 孝司1965年東京生まれ。デザイン、ライフスタイル、アートなどを横断的に探求、執筆。2005年よりはじめたweblog『FORM_story of design』では、デザイン、建築、映画や哲学など、独自の視点から幅広く論考。休日は愛猫ジャスパー(ブリティッシュショートヘアの男の子)とともにすごすことを楽しみにしている。 http://form-design.jugem.jp/